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トランスクリプション
00:00皇太王妃は朝鮮民主主義人民共和国との国境にごく近い
00:08中国キスリン首相 周安にあります
00:11この地域に日本のテレビがカメラを持ち込み
00:16歴史資料を撮影することを許されたのは今回が初めてです
00:21北京から長春通貨を経由して3日目でした
00:31一帯に華やかな古代国家を築いた黄栗の故郷
00:36周安の街にはもう凛として厳しい冬が近づく気配が漂っていました
00:42黄栗王朝は西陸の現在の中国周安に都を構えました
00:534世紀の末に特異した皇太王は第十二の王で
00:58死後その当時の情勢を書き添えて巨大な墓碑が混流されました
01:03それが皇太王妃なのです
01:06その秘文のうちの古代の日本に関する問題の軸は
01:14古い卓本などから見て次のように書かれているとされてきました
01:19我が新忘年から海を渡ってきて
01:23くだら白木などを打ち破りもって新民となす
01:27新忘年というのは西暦391年のことですから
01:32この秘文が史実とすれば
01:354世紀の末にすでに和と呼ばれる勢力が
01:38朝鮮半島でかなりの力を持っていたことになります
01:42皇太王妃は
01:53周安の町の外れの小さな集落の中に建っていました
01:57新朝時代に発見されましたが
02:00当時辺りは荒野で
02:02石碑は一面スタや苔に覆われていたと言われています
02:08皇太王妃は西暦414年混流されました
02:194年前には新しく保護のために屋根が取り付けられましたが
02:251500年余りの間
02:27荒野に一人立ち
02:29風雨に晒されてきたために
02:31その肥面は風化して
02:33一見したところ文字らしい文字を見せてくれそうにもありませんでした
02:38この石碑は高さ6メートル余りと聞いておりましたが
02:49こうしてみますと
02:50本当に大きいなという感じがいたします
02:54そしてまた
02:55想像以上に
02:58風化が激しいという感じがいたします
03:01問題の新忘年
03:03西暦で言いますと391年になるんですが
03:08我が海を渡ってやってきて
03:11そして九太ら白城を打ち破り
03:14持って新民党成したという
03:17そういう問題の軸は
03:19この第一面の右から9行目
03:23左から3行目の
03:24このずっと上の
03:26上から3分の1あたりから始まっているはずなんですが
03:31こうして下から肉眼で見ますと
03:33ほとんど何も見えないというのが実感です
03:38昭和47年
03:42在日朝鮮人考古学者の李慎貴氏が
03:45非分の一部が旧日本軍によって改ざんされ
03:49朝鮮振興政策に利用されたとの説を出し
03:53以来激しい論争が戦わされてきましたが
03:564年前に中国の王健吾氏が
04:00実物調査から改ざんはなかったとの結論を出し注目されました
04:05日露戦争が終わりますと
04:12朝鮮を植民地にする日程が上がってまいりますね
04:17その時にはね
04:18しかもこの皇太陽飛を日本にまで運ぼうとするわけですよ
04:22それは古代において朝鮮を支配した
04:26あるいは朝鮮に大きな兵隊を出したということがあるわけだから
04:32明治時代ですね
04:34明治時代に今日兵を出すとか朝鮮を支配するというのは
04:37元の姿に戻ることであって
04:39という解釈になっておりますね
04:43ですから明治政府の朝鮮侵略とか
04:48あるいは植民地支配にとって
04:50古代においてこの皇太陽飛があるということは
04:53大変合理化に都合が良かったですね
04:56そのためには我がどうしても海を渡って
05:01行ってくだらやしらぎを征服するという文脈になってくれないところがあるわけですね
05:07確かに旧日本軍が朝鮮半島植民地下政策のために
05:16この皇太陽飛を政治的に利用しようとしたことは事実です
05:20しかしだからといってその秘密を改ざんするようなことはしていないと思います
05:25当時中国の新朝の力は弱まっていましたが
05:29それにしても日本の軍人が大勢やってきて
05:32石器の文字を追い直すなどといったことはできるはずもなく
05:35また許されるはずもないことであったと私は考えています
05:40中国と朝鮮民主主義人民共和国と結ぶ列車が
05:52国境の欧力港をまたぐ鉄橋を渡っていきました
05:56戦後日本の多くの歴史学者が
06:00皇太陽飛の科学的調査を願い出たものの
06:03いずれも実現しなかったのは
06:05第一にこの国境沿いの辺境の地に石碑が建っているからでした
06:116メートルを超える巨大な石碑を下から見ているだけでは
06:26どうしても問題の和の石碑を捉えることができず
06:30日本でいえば国宝にあたる貴重な文化財のすぐそばに
06:35足場を組むことを特別に願い出て
06:38地元の人々の協力のもとに
06:41何とか課題を組み立てることができました
06:44何にも見えない
06:51刻んだ文字なのか石の傷なのか
07:03何にもわかんない
07:03区別がつかないですね
07:05石碑のアップに行きましょう
07:08ああそれ石碑だ
07:09これいろんな人が宅本を取るときに
07:13石碑を塗ったりしてるんですかね
07:15その名残です
07:16険しい山々が壁のようになって川沿いの平野を取り囲み
07:28その壁をよじ登ると
07:31骨伝いに苔むした石垣が延々と続いていました
07:35それは甲府里の都を北方から来る侵略者から守るために
07:42代々築き上げられてきた城壁だったのです
07:46岩下には数知れぬ古墳が散在していました
07:53国の活力が頂点を極めたときの
07:57あのときめく映画を享受した勇者たちが
08:00そこに眠っているのです
08:02その古墳群のうち
08:05壁画を残しているのは20機余りで
08:08その壁画古墳にテレビカメラが入るのも初めてです
08:16石室に入ると
08:37そこはまさに航空里の世界でした
08:40生前力を持っていた貴族たちの
08:45死後においても華々しくありたいという思いが
08:48そこには満ち溢れていました
08:50あの世にも太陽が照り輝き
08:54美しき召使いたちが笑みを浮かべてはべる
09:00高栗の人々の大勢感は爆天敵でした
09:04この古墳はカクテーズカと呼ばれています
09:08カクテーズというのは相撲という意味なんですが
09:10この名前のもとになったのがこの絵です
09:14二人の力士が戦って
09:17そして向こうに右の方に行事がいるということですね
09:21日本の相撲と形は非常によく似ているんですが
09:25面白いことに回しじゃなくて
09:28パンツというんでしょうか
09:30トランクスのようなものを履いているところです
09:32顔の表情なども生き生きとしているところがいいですね
09:37周安の高栗古墳の中でも
09:45この舞踊塚は最も華麗な壁画を残しています
09:49八角持ち送りと呼ばれるドーム状の天井に
09:54神話の世界の天女や動物たちが遊び戯る
09:59四方の壁には現世の風俗が描かれています
10:03コークリの人々は音楽と踊りが何よりも好きだったようです
10:11コークリは低重性の騎馬民族と言われております
10:32こちらの人は鹿を追いそしてこちらの人は虎を追っている
10:36みんな生き生きとした表情で狩猟をしている
10:41そしてこの馬の動きというんでしょうか
10:45躍動感という非常にリアルな感じですね
10:48さすが非凡民族という気がいたします
10:52古墳群を平芸するかのように
11:00丘の上に君臨する将軍塚は
11:03王の墓に違いありません
11:05しかし建成を極めたコークリも
11:097世紀に塔によって滅ぼされ
11:12儚くも夢のごとく消えていき
11:15あの皇太王が宮殿を構えた国内城も
11:19今は城壁の一部を残すだけです
11:22その城壁の内側の一角に
11:30周安の自由市場があります
11:31そこには新しい中国の活気があふれ
11:35人々の表情は明るく
11:38天境にしては物資も豊富でした
11:40コークリは皇太王の死後
11:43都を平芸にせんとしましたが
11:46この周安にも心なしか
11:49都であった頃のにぎわいの名残が
11:52どこかにあるようでした
11:531位はタウシャル戦
12:06タウシャル戦いくらですか
12:0818円前左右
12:10100円
12:13100円
12:15日本円に約してもらいましたが
12:19大体100か100円ぐらいだそうですね
12:22こうして足をぐぐられて
12:25生きたままなんですが
12:27かわいそうなような気がしますが
12:28中国の人にとっては大変な
12:30贅沢なおしそうということですね
12:33食用品店の店先には
12:40キムチ類なども並び
12:42雑踏の中に朝鮮語も聞こえ
12:45国境の街であることを思わせました
12:47高大王妃の撮影は難航しました
13:01特に悲鳴が荒れている問題の
13:05和云々のあたりの文字を見ることは
13:07もう不可能かと思われたのですが
13:10光の加減でかすかに見える時もあると
13:13地元の人は言います
13:14それでは一層
13:17余分な反射光のない深夜に
13:20様々な角度からライトを当ててみようと
13:23氷点下の夜間撮影を慣行しました
13:25ここは暑くに
13:26ここで行くよ
13:27ここで行くよ
13:30はい
13:30どうかな
13:36白い
13:43その辺の今画面のちょっと
13:46左の真ん中上のとこね
13:49そっちの下から行く当ててみてください
13:53左の方から洗い立ててください
13:55夜間撮影6時間
14:17ついに問題の軸が浮かび上がりました
14:20これは和でしょ
14:21和で中央の下がいいですね
14:26しんぼう
14:31卵みたいな字ね
14:33しんぼう
14:34そのまま下へちょっとパンシー
14:36行けるだけ行ってください
14:37これねんでしょうね
14:38これねんもかなり見えますね
14:40来るですね
14:43和もって
14:53もっては口へん肉となっていますが
14:56以来の胃の古い字体です
14:58しんぼうねん
15:00つまり西暦391年来この方
15:05そしてここは和が海を渡ってと読みたいところなんですが
15:12上の二文字は確認できません
15:14しかしいかの国々を破る
15:17くだらの別称である百山
15:20山は残念ながらかなり崩れているようです
15:23そして二文字欠落があって
15:26次に白城の裏
15:27ここも読みづらいんですが
15:30もってなす
15:30なすはためという字です
15:33もってなす新民
15:34つまり和がくだらや白城などを打ち破って
15:38新民となした
15:39確かにこう読めるようです
15:41和の一行の中でも
15:47最も注目されているのがこの部分です
15:504世紀の末に和が何をしたかという
15:53動詞が書かれているに違いないからです
15:56卓本の中には
15:58都会派つまり和が海を渡って破ると
16:02はっきり出ているものもありますが
16:04実物を撮影してみると
16:06上の二文字については
16:08それらしき自覚の一部が見えただけでした
16:11改ざん説の立心騎士の論拠は
16:14実はこの点にあり
16:16もともとは別の字であったところに
16:20旧日本軍が朝鮮振興政策に都合のいいように
16:23石灰などを使って都会派にして
16:27卓本を取ったのだと主張しています
16:29何種類かの卓本を比較検討した結果
16:34秘文が改ざんされたと推論する李慎貴氏も
16:38実物をこれほどアップで捉えた映像を見るのは
16:41もちろん初めてです
16:43この部分はね
16:44影の部分はね
16:46あのあれって書かってるんですよ
16:47これは作法本ですが
16:50東海派とちゃんとなってますね
16:53海の字でありますが
16:55今のVTRで見ますと
16:57この数字の4の字がね
17:00細長く出ているだけで
17:02この三随が入る余地のない
17:04字格のところまで
17:05今のVTRは出てますよね
17:08上の渡るというのもちょっとおかしいな
17:10という気がしますね
17:11破るは非常にはっきり読めますね
17:14しかし一番古い卓本以来ですね
17:17都会派となっているものが
17:19どうして石灰が落ちると
17:20これが別字になってしまうのか
17:22この字も怪しくなるのか
17:23というところはもともと
17:25石灰の上の文字なのか
17:27あるいはちゃんとした石の上の文字なのか
17:30というような科学的な調査が
17:31どうしても必要になってまいりますね
17:33私どもはこれらの文字を何回か観察していますが
17:40その結果2つの文字が
17:43渡るという字と海という字に間違いないと
17:46自信を持って言えるようになりました
17:48確かに海という字は
17:53中心がちょっとこう左の方にずれていますが
17:56山水編の渡るという字が
17:58海以外の文字とともに使われることはないと思います
18:02渡るという字の後には
18:04必ず海という文字が来るものであり
18:07それで意味も通じます
18:092つの文字は都会に間違いないと確信しています
18:13このような石に刻まれた碑文の一部を削り取って
18:17もう一度別の字を彫り込むなどということは
18:20技術的に不可能なことです
18:22和の動向に言及する軸が他にもありました
18:302面には和人満るその国境
18:34海派城地
18:35つまり和の兵が国境に満ち溢れ
18:39チアギの城を攻め落としたとあります
18:41これを知ったコークリの後退王が
18:455万の兵を率いて攻め
18:46結局3面に書かれているように
18:49和公を解敗残殺無数
18:52つまり和は敗退を余儀なくされたのですが
18:57しかし国境に満るほどの兵を送り出した和とは
19:02一体どんな存在だったのでしょうか
19:05いわゆる大和朝廷も一筒にしてはなりません
19:15日本の暗い国家も長い形成の歴史があるわけですね
19:213世紀の大和大国の段階
19:26それから5世紀後半以後の大和朝廷の段階
19:32そのちょうど中間に後退王妃の時代があるわけですね
19:37私は日本の大和朝廷の形が成立してまいりまして
19:50朝廷といいますけど
19:51内廷と私も呼んでいるのですが
19:55和がちといえば九中
19:56外廷と呼んでいるのですが府中
19:59つまり政府とそれから王室と
20:03この両方が整備した時が朝廷の成立ということになるわけですね
20:09九中だけではまだ規模が小さいわけです
20:14政府がちゃんと成立してくるのは
20:18私などは5世紀の後半
20:21特に有楽天皇の時代というように今考えておりますね
20:284世紀の末の時期にですね
20:32日本列島を制覇したですね
20:37統一国家がね
20:41存在したとは考えられないわけですね
20:46義士和人伝が伝える3世紀の卑弥呼の山大国の後
20:554世紀和は一体何をしていたのか
20:59統一国家日本の誕生は5世紀以後としても
21:04その準備期間とも言うべき和の4世紀は
21:08文献資料上全くの空白であり
21:11これを埋めるのはこの後退を非分しかないとされてきました
21:15和は海を渡ったのかどうか
21:20つまり海外出兵するほどの力があったのかどうか
21:24さらには単に略奪のために朝鮮半島に向かったのか
21:30それとも領土を占領して
21:32諸国を我が新民となそうとしたのか
21:36すべては和もって信望年代都会派百山
21:42死んだもってなす新民の一行を
21:45どう読むかにかかっているといえます
21:48私は学問に国境はないと考えています
22:02後退予備をめぐって考えはいろいろありますが
22:06まず各国の歴史学者が共同で研究することが必要です
22:11いろんな組織を通じお互いに力を合わせて
22:15あくまでも事実に基づき
22:17気分の解明を求めて研究するということは
22:20必ずや中国や日本などの
22:23アジア諸国の今後の歴史に貢献するものだと
22:27私は思います
22:28後退予備を取り囲む山々に日が沈むと
22:48その麓は急に冷え込んだ
22:50秋が雪もう取材を終えるべき時であった
22:55和の一行をめぐる論争のきっかけとなった
23:07改ざん説の成否は確認できないままであった
23:10しかしこれほど読みづらい一行を
23:14日本の軍人が一目見て即座に改ざんする
23:17そんなことが果たしてできたのであろうかという
23:20強い疑問が最後まで残った
23:23和もって信望年来都会派百山
23:27死んだもってなす新民
23:30そこに我が国誕生の謎を解く鍵を
23:35名を隠し持つようにして
23:36後退予備は航空のふるさとに静かに立ち続けていた
23:41ご視聴ありがとうございました
23:54ご視聴ありがとうございました

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