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アナザーストーリーズ 2025年4月9日 岡本太郎、現代を撃つ~“双子の傑作”に秘めた企み
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00:00出会い
00:04その男は芸術と向き合うとき
00:07危機迫るほどの意志を目に宿していた
00:13芸術家
00:15岡本太郎
00:19なんだこれは
00:20個性的なもののほうは 変性がある
00:23芸術は 綺麗であったといけない
00:25上手くあったといけない
00:26高潮くあったといけない
00:28That's the title of the title of the world.
00:35It's the challenge of the modern society.
00:45In the 1970s, in the United States,
00:50経済成長と科学技術の進歩に人々は酔いしれていた
01:00太郎はあえてその流れに逆らうかのように太陽の塔を出現させた
01:11出る釘になる決意をしなければ時代は開かれない
01:18これはいまだに世界建築史上破天荒な一つの事件だったですね。
01:27新婦の先にだけ調和があるわけじゃないというね太郎は太陽の塔と同じ頃巨大な壁画にも挑んでいた知られざるもう一つの傑作明日の神話問いかけたのは人間とは何か?
01:51人間少しも進歩してないですよ。科学的に工業的に産業的にさまざまな意味で進歩しているかもしれないけれども
02:03人間的にはみんな虚しくなってますよ。機械の奴隷になってますよ。
02:10双子の最高傑作に秘めた岡本太郎の企みとは
02:18うわぁ大きいですね。
02:39今から半世紀前突然巨大な塔が現れました。
02:46高さ70メートル。その名は太陽の塔。
02:52それは高度経済成長の真っ只中にあった日本に対する挑戦状のようなものでした。
03:04運命の分岐点は1970年3月15日。
03:09大阪万博が開幕した日です。
03:16その時、塔は大きな屋根から突き出した異様な姿で立っていたことはご存知でしょうか。
03:24第一の視点は太陽の塔を作ったその人。
03:30芸術は爆発だ。
03:33そう、戦う芸術家、岡本太郎です。
03:40大屋根は万博のテーマを象徴する最先端の建築技術で作られます。
03:47太郎はその屋根を巨大な塔で突き破らせたのです。
03:53時代と格闘した岡本太郎の思いに迫るアナザーストーリー。
04:03世の中に強烈なインパクトを与えた太郎のフレーズがこれだ。
04:10芸術は爆発だ。
04:12その言葉は時に哲学者を思わせる難解な表現に満ちていた。
04:21これは大阪万博の2年前。
04:24太郎が太陽の塔のコンセプトをプロジェクトのメンバーに説明する姿だ。
04:32我々の不幸というのは全て人類の癒しさとか不幸というのは、
04:37人間と意識があるから人間が不幸であり貴方が癒しくなっている。
04:41いつも人間が炭細胞に還元したいという、つまり命そのものに還元したいという情報がある。
04:50そういうワークです。
04:53難解な言葉の渦はメンバーの一人だった作家の小松左京も苦笑いするほど。
05:04誰もが圧倒される中、一人静かに話を聞く男がいた。
05:13万博で太郎の助手を務めた千葉和彦。
05:19太郎は1996年に世を去った千葉は万博に対する太郎の葛藤を今でも強く覚えていた。
05:34万博博っていうものをね、観博一辺倒というのかな、どうもあれは違うんじゃないかっていうのが、だんだんやっぱりやった真ん中に調べてきたんじゃないでしょうかね。
05:49太郎の企みは、やがて人々を驚かせることになる。
05:56日本が万博へ向け走り出したのは、高度経済成長の真っ只中の1960年代。
06:11その科学技術の進歩をアピールする場が、大阪で開催される日本万国博覧会。
06:22テーマは、人類の進歩と調和。
06:29万博の総合プロデューサーは、日本を代表する建築家、丹下健三。
06:39その名を世界に知らしめたのは、東京オリンピックのために設計した代々木体育館。
06:49独創的な吊り上げ式の屋根が絶賛を浴びた。
06:56万博でも、何か世界に訴えるものをと考えていた丹下。
07:04白羽の矢を立てたのが太郎だった。
07:09太郎は当時、孤高の芸術家として知られていた。
07:18本当に戦いなんですよ、芸術はね。
07:20人生即戦いであり、即芸術であり、芸術即戦いです。
07:29しかし、芸術家として万博に参加することは、賭けでもあった。
07:37自爆してしまうかもしれない、難しい仕事だ。
07:46実は、当時万博には反対の声も多かった。
07:51万博に便乗した値上げに対して、主婦たちも立ち上がった。
08:02さらに、公害も大きな社会問題となる中での開催だったからだ。
08:09そんな万博批判に対する太郎なりの答えが、総合プロデューサー、丹下への挑戦だった。
08:27太郎は、万博会場の入り口にあるお祭り広場を、最新式の屋根で覆うことに決めていた。
08:38広さ3万平方メートルを超える巨大な屋根。
08:44その中は、空中の未来都市をイメージしていた。
08:48太郎は、進歩の象徴ともいえる、この大屋根に対峙する。
08:56何かを考えていた。
09:03話はよくしてましたよ。
09:05人類の進歩と調和。
09:07進歩の先にだけ調和があるわけじゃないというね。
09:10全く正反対なものならぶつけ合うことによって、むしろ新しいそこにね、価値が生まれてきたり。
09:21酸性酸性が一緒になって、叫びは調和するか、そういうもんじゃない。
09:28そこで太郎は、こう企てた。
09:33優雅に収まっている大屋根の平面に、べらぼうなものを対決させる。
09:43その時、タンゲはどう反応したのか。
09:53タンゲの長男で、自身も建築家の範高。
09:58岡本先生の案を見た時には、うちの父はぎょっとしたようです。
10:07びっくりしたようです。
10:08岡本先生がうちの父のオフィスに来て、その模型を見て、それをぶち抜いてやろうと思ったのか。
10:17その感覚なんかは、私、子供の頃見てて、本当にこの人、すごいなと思いました。
10:26さらに、太郎は党そのものにも、あるテーマを込めていた。
10:33それを太郎から直に聞いたのが、タンゲのチームに加わった、植田敦。
10:40ある日、私、ちょっと早めに行きましたら、誰もおられなかったところに、岡本さんがおられて、ものすごい模型を持ってられたんですね。
10:51それで、それは何ですか、その模型をって聞かれたら、大きな声で、縄文だって言われたんですよ。
10:57それで、びっくりしましてね、私は。
11:00まあ、それも知らんのかっていう感じでね、怒鳴られたような感じでしたね。
11:05怖い、怖かったよ、怖かったですよ、僕は。
11:09植田を驚かせた、縄文というテーマ。
11:15そこには、太郎の芸術家としての歩みが、深く関係していた。
11:25孔明な芸術家一家に生まれた太郎は、大正時代に少年記を送った。
11:3218歳でパリに渡り、自分にしかできない芸術とは何か、探し続けた。
11:43その一方で、文化人類学をレビストロースと共に学ぶなど、交流は芸術の域にとどまらなかった。
11:54その後、第二次世界大戦で、中国戦線に出征。
12:02絶対服従を強いる軍隊に、強烈な反発を覚えた。
12:07そして、戦後、太郎は何事もなかったかのように豊かさを謳歌する日本に、違和感を感じながら、自らの表現を探しあぐねていた。
12:24そんな時、ある博物館で、運命的な出会いが訪れる。
12:37縄文土器。
12:39絵も言われぬエネルギーを感じたのだ。
12:46不思議なものがあった。
12:49ものすごい。
12:51こちらに迫ってくるような、強烈な表情だ。
12:55縄文土器ってこんなものがあるのかと。
12:59それそれは日本のものだってことがわかった。
13:02日本の過去にこんなものがあるとは、全然知らなかった。
13:07ほとんど誰も知らないんですよ。
13:10そして太郎は、縄文土器に感じた何かを探し、日本中を歩き始める。
13:24人々の暮らしを見つめ、土着の文化と触れ合ううちに、たどり着いた思いがあった。
13:35近代的なメカニズムの悪循環。
13:40その老い目を乗り越えていく生命力。
13:49太郎が縄文の生命力を込めたのが、太陽の塔だったのだ。
13:58しかし、そのアイディアは、周囲を大いに困惑させた。
14:08屋根を突き破るというのだ。
14:12そうなると、屋根自体の強度が保てなくなる。
14:17さらに塔の内部を人が通れるようにして腕の部分から人が大屋根に登れるという構想までしていたのだ。
14:33話としては面白い。しかし技術的に不可能だって、大概の建築家はそう思うんで。で、田下さんも多分そう思われて、これ大変だと。まず予算的にお金がとても大変なことになると思われたと思うんで。そんなね、建築家は過去にないんですよ。こう一体の建築の大きな中にね、別な建築家がガーンと屋根を突き破って滑り立つという。
14:48構造学者はここのところの構造を何ヶ月もかかって議論して決められたと聞いています。大変だった。
14:55これは未だに世界建築史上破天荒な一つの事件だったんですね。
15:03そして始まった、この破天荒なプロジェクト。
15:10しかし、太郎の企みはまだ終わっていなかった。
15:161970年3月15日、大阪万博が開幕した。
15:31こんにちは。
15:341970年3月15日、大阪万博が開幕した。
15:41お祭り広場に太陽の塔はその姿を現した。
15:48初日から20万人を超える人であふれ返った。
15:54華やかなパビリオンの数々。
15:59その電力を賄っていたのが、
16:02当時未来のエネルギーとして期待されていた原子力だった。
16:11その一方、世界では核兵器の開発が進み、
16:17核の脅威が人類に迫っていた。
16:24それに対する太郎の答えが現れていたのが、
16:30開会式。
16:37天皇や総理大臣。
16:42海外の要人が列席した会場を見下ろしていたのが、
16:49黒い太陽。
16:52太郎が塔の背中に書いていたのだ。
16:57長年、岡本太郎を研究してきた、
17:02サワラギ・ノイはこう読み解く。
17:07あれはお祭り広場という万博という祭典に世界中の人たちが集まって、
17:14そこで活祭をする、祝祭をするという場に向けられた黒い顔というのが一番不気味で、
17:22黒い太陽という言葉は岡本太郎がしばしば使う言葉だけれども、
17:26外宇宙にあって地球に恵みをもたらすあの太陽ではなくて、
17:31人類が作ったその核エネルギーによって支えられた、
17:36人類の進歩のと調和がいかに危ういものであるかということを表すもののような気がしてならないんですね。
17:45さらに企みは太陽の塔の内部にも仕掛けられていた、
17:52生命の木という展示だ。
17:58始まりは生命がまだ生き抜くことだけを目的としていた単細胞の時代。
18:07やがて恐竜となり、命を繋いだ先に霊長類となった時代。
18:18そして知性を獲得した人が、地球を我が物顔で歩き始めた姿が。
18:27この展示で訴えようとしたのは、まさにあの会議で太郎が語っていたことだ。
18:39してみると、人間動物という人間本人的な考えをここで一度解消して、
18:46我々の不幸というのは、全て人類の癒しさとか不幸というのは、
18:51人間という意識があるから、人間が不幸であり、貴方が癒しくなっているので、
18:55いつでも人間は単細胞に還元したいという、
18:58つまり、命そのものに還元したいという条例があるという、そういうわけです。
19:03仲本太郎が家には、人間の今存在があるのは、一番その原始的なところでね。
19:15命のこう、無限というか、永遠性というかね。
19:20それがなくして未来もないぞっていうような感じですよね。
19:25太郎が命への思いを込めて企画した展示、生命の木。
19:31そしてその先に、原爆のキノコグモや被爆者たちの写真を集めたコラージュ。
19:41進歩の果てにたどり着いた核エネルギーに対して、どう向き合うべきかを問いかけていた。
19:51今、つまり進歩というものが、ある意味では、別世界旅行もしたけれども、
20:00何かこう、それだけが人間じゃないということを反省し始めた時代じゃないか。
20:06同時に一生懸命、人間のこの運命と考えるというような前提があるべきなんです。
20:12それが僕のリクスだったけどね。
20:15そういう展示で、大やりたいという気なんですよね。
20:18進歩を謳歌する時代を打つ大いなる問いかけ、太陽の塔。
20:27しかし太郎は同じ頃もう一つのプロジェクトを進めていた。
20:36岡本太郎の代表作太陽の塔その双子ともいわれる作品があります。
20:51これも大迫力。高さ5.5メートル、幅30メートルの壁画、明日の神話。
21:02大阪万博の準備中、メキシコで制作され、太郎が何度も現地に渡り完成させました。
21:11しかし、完成直後、行方不明となります。
21:16再び姿を現したのは、30年以上経った後。
21:25壁画は雨や埃にさらされ、亀裂だらけの状態でした。
21:35第2の視点は、この壁画の修復に挑んだ吉村エミール。
21:41修復家がよみがえらせた明日の神話。
21:47この絵に込めた太郎の思いとは。
21:50日本を代表する絵画の修復家、吉村エミール。
22:00岡本太郎の絵を数多く修復してきた吉村だが、
22:10記憶に強く残っているのは、やはりあの絵だという。
22:15明日の神話。
22:23行方不明になる前、副題が記されていた。
22:28広島、長崎。
22:30この絵を修復する前、吉村はこんな印象を抱いていた。
22:42原爆だったりとか、そういうことをテーマにしているわけですよね。
22:45みんなのみりどこ、安らいで平和な景色みたいなものが描かれていて、それが突然、黒雲が現れ、これが原爆ですね。
22:55それで一瞬にして、ああやって人間が外物になっていくと。
22:58それまで岡本太郎さんが描いてきたテーマのほとんどが組み込まれている作品なんですね。
23:06しかし、修復後、太郎から思わぬメッセージを受け取ることになる。
23:16明日の神話が描かれたのは、メキシコシティ。
23:231968年開催のメキシコオリンピックを間近に控え、建設ラッシュのただ中だった。
23:40そんな中、現地のホテルのオーナーがロビーに飾る壁画の製作を太郎に依頼したのだ。
23:53世界の人々が集まるオリンピックの開催地で、あえて核の脅威を描こうとした太郎。
24:03そこには、ある画家から受けた影響があった。
24:08パリ留学中に出会ったパブロ・ピカソだ。
24:131937年にピカソが描いたゲルニカ。
24:24母国スペイン北部の街、ゲルニカが、
24:31ドイツ軍によって無差別爆撃を受けた時の殺戮を描いた大作だ。
24:38この絵から受けた影響を太郎はこう語っている。
24:45社会の運命を象徴した作品でもあるわけですね。
24:50それはもう、歴史的な役割を果たさなきゃ僕は芸術じゃないと思う。
24:55芸術は歴史的な役割を果たさなければいけない。
25:06しかし、太郎の明日の神話は、その役割を果たすことができなかった。
25:15ホテルが開業直前に倒産。
25:19その混乱の中で、壁画も行方不明になったのだ。
25:29それを長年探し続けたのが、壁画の製作にも寄り添っていたパートナーの岡本俊子だった。
25:40行方不明になってから30年の時が過ぎた2003年。
25:51吉村に思わぬ一報が届く。
25:57突然、敏子さんに直接お電話いただいて、そのあすの神話が見つかったのよっておっしゃるから、いや、そんなことってあんのかなと思いながら、やっぱり本当にあったんだなと。
26:09その半年後、吉村はメキシコに渡り、絵と対面した。
26:18そこで見たのは、野晒市で置かれた無残な姿だった。
26:28ところが、その日の夕方。
26:35ちょうどレリーフの部分、そこのシートが外されたんですよ。
26:39それで、骸骨が現れてきて、それがものすごい厚みがあるのは、ちょうど西日が当たって、レリーフが浮かび上がるような感じだったんですよ。
26:47そうあれがすごいきれいで、いや、これは直さなきゃいけないなって、その時に実感したんですね。
26:54この骸骨のレリーフに、太郎はどんな思いを寄せていたのだろうか。
27:02メキシコ在住の画家、武田晋三郎。
27:08この絵の製作助手を務めた当時、太郎のこだわりを垣間見たという。
27:16真ん中に骸骨の白い、まるで原爆のようなものがいるんですよね。
27:26小本先生は何度も原画を作っているんですね。
27:32少しずつ変えたりなんかして。
27:35でも、一番変わらないのは、真ん中にあるこの白い骸骨なの。
27:41心のどこかに引っかかるんですよ、それが。
27:44明日の神話は、日本で修復することが決まり、チームが組まれた。
27:57しかし、どうやってこの巨大壁画を日本に運ぶのか。
28:02何しろ分厚いコンクリートの上に描かれていたのだ。
28:12検討の末壁画を亀裂に沿って120枚に切断することにしたさらにどんな細かい破片も回収その数は8000個にも及んだ。
28:37仮に1ミリとか2ミリぐらいの小さな欠片だとしても、それを捨ててしまうと、オリジナルじゃない場所っていうのがどんどん増えていってしまう。
28:46やはり作品というのはオリジナルが一番素晴らしいわけですから、それを全て持ち帰って元に戻すっていう。
28:53それはどうしてもやりたかったことなんですね。
28:55この壁画には広島、長崎以外にも核の時代を表すモチーフが描かれていた。
29:07小さなこの船だ。
29:141954年、太平洋のビキニ干渉でアメリカが水爆実験を行った。
29:24この時、近くを航行していた日本漁船、大五福龍丸の乗組員23人が被爆した。
29:39太郎はこの事件の直後に描いた燃える人でも、大五福龍丸をテーマにしている。
29:51この燃える人などの展示会を企画した山村茂雄。
30:00長年、核兵器の廃絶運動に携わる中で、太郎と繋がりを持った。
30:10やっぱり、岡本太郎さんの中には、やっぱり、ビキニもそうだけど、広島、長崎っていうのはね、強烈にあって、
30:18あれだけの巨大な、巨大な爆発力っていうか、それにどう、人間のエネルギーがどうなってくるかって。
30:25まあ、それは燃える人もそういうテーマですよね。
30:27だから、太郎さんなんかは、ね、平和とかなんかあんまり軽々しく言うなって、
30:3363年のことに書いてますよね。
30:37広島を訪れた太郎は、新聞にこう寄稿している。
30:45我々自身、被爆者。
30:50新しい日本の現実を作り上げる情熱と力を持った日本人。
30:57その生きる意志の中にこそ、あの瞬間が爆発し続けなければならないのだ。
31:04ヘキガが見つかってから2年後、
31:14愛媛県の作業場で、いよいよ修復が始まった。
31:18まず、汚れを落とし、太郎が描いた色を浮かび上がらせる。
31:28吉村が新たに色を足すのは、絵の具が完全に落ちている部分のみ。
31:40もしそれより、その、薄落して絵の具がなくなっているところによりも大きく色を入れてしまうと、それは作品に対する暴徳になるので、それはやってはいけないんですね。
31:54吉村は1年をかけて取り組んだ。
31:59そしてついに、明日の神話がよみがえった。
32:03修復を通して吉村は、太郎がこの絵に込めた、本当のメッセージを感じたという。
32:13その時にはね、本当立ち上がって驚くぐらい、もうあまりのきれいさに感激しました。
32:22その色の美しさっていうのを、原爆だったりとか、そういうことをテーマにしてるわけですよね。
32:28だけど、そういう悲惨さっていうのは、まるっきり感じない。
32:32ですから、むしろ、なんか、ほほえましいというか、温かい感じが受ける、そういう作品だなっていうふうに、実際に修復してて、そう思いましたけれども。
32:43修復された絵を見た、山村もまた、こう感じていた。
32:53やっぱり人間の生命力っていうものと核の対峙っていいますかね太郎さんの中でやっぱりいわゆるそういう命のエネルギーっていうか一番そこにあるのはすごい人間の命への信頼みたいなことは感じますよねそれはもうそれで優しい太郎さん優しいお相手さんでね人間の命への信頼
33:23それこそ壁画を探し続けた敏子が届けたかった思いだ。
33:32それは悲劇的な残酷なことでしたけどね広島なんて本当にそうでそれは言わなきゃいけないけどでもそれに負けないでその瞬間に明日の神話が生まれてるのよ。
34:15すごくあの親しみが負けるようになりましたですね悲惨なんだけどまあねこう見てあんまりああっていう感じじゃないふうにはねきれいに表れてるのかなと思います。
34:30岡本太郎の2つの最高傑作それを誰よりも近くで見続けた女性がいます。
34:49第3の視点は
34:53公私ともに太郎を支えたパートナーの岡本敏子
34:59太郎の死後その生き方や精神を伝え残そうと奔走します。
35:06そんな敏子に触発された人々がさまざまな形で岡本太郎の強烈な生き様に再び光を当てていきます。
35:19次の世代に岡本太郎を伝え続けた情熱のアナザーストーリー
35:26太郎は70歳を超えた頃からテレビドラマにも出演。
35:38ちょっと面白いおじさんとして知られるようになっていた。
35:42晩年は芸術家としての業績に光が当たることも少なくなり、その死後は太郎が残した本もほとんど絶版となっていた。
36:01そのことを誰よりも悲しんでいたのが、半世紀にわたり太郎を支え、後に幼女となった岡本敏子だった。
36:18だって岡本太郎さんという人は名前はとても有名でね、皆さんイメージは持っていらっしゃるんだけどね、本当にどんなことをしてどんな人だったかっていうのを本当に知らないでしょ。
36:34そんなのちょっともったいないと思うのねあんなすてきな人はいないしあんなにすごいことをやってらっしゃるのにねどんな人だったかってことはもう少しちゃんと知ってもらいたいと思うんです。
36:49太郎を次の世代に伝える。
36:53としこの最後の戦いが始まった。
37:00近年、新たに出版されている岡本太郎に関する書籍の数々。
37:08中でも若者たちに人気なのがこのシリーズだ。
37:22いいかい?怖かったら怖いほど逆にそこに飛び込むんだ。やってごらん。
37:30自分らしくある必要はないむしろ人間らしく生きる道を考えてほしい太郎の言葉を集めた本を編集した本田道夫。
37:50敏子からのアイディアがきっかけだった太郎のつぶやきって本を作らないとかっていう話されたんですよ。8割9割ぐらいが岡本太郎さんのことをすごい褒めているというか岡本太郎さんが大好きっていう話をずっとされているのかなっていう感じがしていました。
38:12本田は太郎に関する本を出版社の中で提案したが、反対されたという。
38:23上の人たちは、岡本太郎さんってもう死んじゃってる人らしい、そんな本だって売れるわけないじゃんとかって言ってたんですね。
38:33諦めなかったのは、敏子の情熱に圧倒されたからだ。
38:42結構毎日電話がかかってきてですね、ポンポン太郎さんがすごいいいこといっぱい言ってて、私いっぱい覚えてるからそれをまとめましょうみたいな話になって、
38:51どこにも岡本太郎さんの資料とか本に載ってないような言葉も入ってると思うんですけど、それ、敏子さんの記憶の中のある言葉なんですよ。
39:03岡本太郎さんがそのまま、敏子さんで入ってるんじゃないかなっていうふうな感じもありましたね、それは。
39:15そんな敏子が目をつけたもう一人が、東北地方を主なフィールドとする、既栄の民族学者、赤坂範雄。
39:27それは赤坂自身の後援会でのことだった。
39:34ほんとに鮮明に覚えてますずっと女性が現れてでいきなりね名乗ることもなくあなたの東北面白いんだけどもっとしっかり言いなさいよって言ったんですはい何なんだって思いましたよそれまで太郎さんの作品にも興味ないし僕の中ではもうね。
40:0311PMか何かに出てきて、芸術は爆発だってやってるあの姿しかないんですよ。
40:10でも、会うたびに太郎さんはね、かっこよかったのよ。
40:16かっこよかったのよ。
40:18あんたももう少し見習いなさいみたいなことをね、一言言ってツーッと言っちゃうんですよ。
40:24でも一人の女性にそんなふうに惚れさせてしまう男ってどんな男だったんだろうって僕は思いました。
40:37いらい赤坂は太郎の試作の旅を追いかけた。
40:44そして2007年、岡本太郎の見た2本を出版。
40:54さまざまな賞を受賞した。
40:59赤坂は太郎を突き動かした思いについてこう記している。
41:09物、社会、人間をめぐる関係に対して恐れと慎みをもって退治せよ。と。
41:22人間とか人類の持っている生命、命とか暮らすといった現場からいろんなものが立ち上がってくるんだということは信じていたんですよ。
41:34生命とか生活っていうところに足を置くというかそこからその泥にまみれながらしか生まれてこないんだというふうには思っていたんじゃないかなと僕は思いますね。
41:49そして赤坂は芸術家岡本太郎にとって敏子の存在がいかに大きかったのか実感していく。
42:05例えば旅に出るでしょ。そうすると太郎さんはメモなんか一切取らないんですよ。太郎さんは写真を撮り続けますよね。それを敏子さんが後ろから記録写真を撮ったりしながらメモを撮っている。そういう2人の共同作業によって生まれたものだと僕は思っています。
42:34とにかくあの2人は僕の中ではもうねセットですよ。この新しいこの時代に対して太郎をもう一度ぶつけてやりたい。そこに敏子さんは自分の最大の最後の仕事を見いだしてやり遂げたんじゃないかなと思いますね。
42:58太郎の死から9年後。
43:05としこもこの世を去った。
43:09時代を越えて社会を打つような作品を残して。
43:15半世紀前6400万人が詰めかけた大阪万博。
43:28海上だった跡地には太陽の塔以外その形跡はほとんど残されていない。
43:37なぜ太陽の塔は今も存在しているのか。
43:52太郎はこう語っていた。
43:57残すか残さないってことは考えずに、その瞬間に作った喜びを作るあれでも十分で作ったわけですよ。
44:04特にこれは万博の象徴じゃシンボルじゃなかったんだけどシンボルになって、しかも大衆に非常に喜ばれてですね。
44:12しかし今の人が判断するんじゃなくて、将来残してから歴史の中でまた判断されるだろうと思うんです。
44:25太郎は未来の社会を見通していたのかもしれない。
44:31個性的なものの方が普遍性があるんだ。
44:48BSスペシャル。偽物の絵画で10億円以上を騙し取った元作詩を独占取材。
44:55人は何を信じ、何に価値を見出すのか。本物をめぐる試作です。
45:01ご視聴ありがとうございました。
45:02ご視聴ありがとうございました。
45:03ご視聴ありがとうございました。

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